双対の巨竜 阿形 -航空母艦 加賀-

「加賀」は、大日本帝国海軍が八八艦隊構想に基づき建造していた戦艦のうちの1隻で、完成していれば、全ての点で「長門」型を凌駕する有力な戦艦となっていたはずでした。しかし、ワシントン海軍軍縮条約締結により建造は中止されました。姉妹艦の「土佐」と共に廃艦となることが決定していましたが、関東大震災で大被害を被った「天城」の代わりに選ばれ、「赤城」と共に航空母艦に改造されることになりました。
航空母艦の設計に関しては、当時はまだ手探りなことが多く、改造直後は様々な問題を抱えた艦でしたが、大改装を経て余裕ある搭載能力と航続距離を持つ、優れた空母として生まれ変わりました。
大東亜戦争序盤では、「赤城」と共に第一航空戦隊を構成し、昭和16(1941)年12月8日の真珠湾攻撃以降、昭和17(1942)年6月5日にミッドウェイ海戦で戦没するまで、帝国海軍最大の主力航空母艦として君臨しました。

作品仕様

制作年: 平成26年
技法: 鉛筆画
サイズ: 652×910mm(P30)
所蔵: 個人蔵

天睨む玄武の如く -航空戦艦 伊勢 2604-

「伊勢」は、初めて列強の戦艦と互角以上に戦える能力を獲得した国産戦艦でした。更に近代化改装を経て世界有数の有力艦となりました。
ミッドウェイ海戦での主力空母4隻喪失がきっかけとなり、姉妹艦「日向」と共に航空戦艦に改造されましたが、その真価を発揮する局面は訪れませんでした。昭和19(1944)年10月25日、捷一号作戦で小澤中将率いる「囮艦隊」の1隻として参戦し、エンガノ岬沖海戦で壮絶な空襲受けました。しかし、直撃弾を受けることなく奮闘し、生還を果たしました。
本作品は、エンガノ岬沖海戦で対空射撃が開始される寸前の様子をイメージして描いたものです。防空巡洋艦「五十鈴」から撮影された「伊勢」の写真を基に、全く異なる角度からその場面を描きました。背景の艦尾側には防空巡洋艦「五十鈴」、艦首側には駆逐艦「桑」、航空母艦「瑞鳳」、駆逐艦「秋月」を描いてあります。

作品仕様

制作年: 平成29年
技法: 鉛筆画
サイズ: 455×652mm(M15)
所蔵: 個人蔵

軽巡洋艦 多摩

「多摩」は、「球磨」型軽巡洋艦の2番艦です。大東亜戦争では昭和16(1941)年から昭和18(1943)年にかけて、北部太平洋の過酷な自然条件下で作戦に従事し、アリューシャン列島のキスカ島攻略作戦やアッツ島沖海戦に参加しました。昭和19(1944)年10月25日のエンガノ岬沖海戦で、アメリカ艦載機の波状攻撃により大破しました。応急修理の後、ルソン島の北西沖合を沖縄へ向け単独で航行中に、アメリカ潜水艦「ジャラオ」の雷撃により撃沈され、乗組員全員と共にフィリピンの海に消えました。
作品は平成24(2012)年に制作したものですが、その後「多摩」と共に北部太平洋で行動した「木曾」の元乗組員の方から証言を得て、また新たに手に入れた写真や映像資料を元に、平成29(2017)年に加筆し、史実に一層忠実な仕上がりとなりました。

作品仕様

制作年: 平成24年
技法: 鉛筆画
サイズ: 257×364mm(B4)
所蔵: 個人蔵

海大VI型 a 潜水艦 伊 168

大日本帝国海軍は、昭和 6(1931)年から 11(1936)年にかけて1800tの海大型10隻を建造する計画を立案しました。しかし、ロンドン海軍軍縮条約の成立に伴い、1400tに縮小された海大VI型aの6隻建造に計画は変更されました。ちなみに海大型は海軍大型潜水艦の意で、高水上速力、大航続力、強雷装、航洋性に優れた艦隊随伴大型潜水艦の分類名称です。I型からVII型まで建造された海大型の中で、完成型の域に達したのが海大VI型aで、大東亜戦争中に精鋭艦として第一線で戦い、そのすべてが戦没しました。
6隻中、最も目立った戦績を持つのは伊168で、ミッドウェイ海戦においてアメリカ空母「ヨークタウン」と駆逐艦「ハンマン」を雷撃により撃沈しました。
作品は、艦首の全魚雷発射管から九五式酸素魚雷を発射した伊168を描いたものです。

作品仕様

制作年: 平成29年
技法: 鉛筆画
サイズ: 297×420mm(A3)
所蔵: 個人蔵

一等戦艦 三笠

「三笠」は、ロシアとの戦争を意識した六六艦隊計画(戦艦 6 隻、装甲巡洋艦 6 隻を稼働保有する計画) でイギリスに発注された、当時世界最大かつ最新鋭の戦艦でした。当初より連合艦隊旗艦となることを想 定していたため、「敷島」型の他の同型艦より防御力は格段に向上していました。
日本海海戦では連合艦隊旗艦として東郷平八郎長官が座乗し、第一艦隊第一戦隊の先頭に立ち、バルチック艦隊と壮絶な砲撃戦を繰り広げました。この時「丁字戦法」でバルチック艦隊を殲滅したことは、有名なエピソードとして国内外に語られています。
武勲艦として知られる一方で、実は3度も着底するという不運に付きまとわれた艦でもありました。関東大震災で罹災後、修復と保存を望む国民の声を受けて、様々な困難を克服し、記念艦となりました。大東亜戦争後の荒廃を乗り越え、再び復元され今に至っています。

作品仕様

制作年: 平成23年
技法: 鉛筆画
サイズ: 318×409mm(F6)
所蔵: 個人蔵

海の防人 -一等戦艦 三笠 2562-

「三笠」は、日露戦争中に連合艦隊旗艦として活躍した、当時世界で最も先進的で強力な戦艦でした。イギリスのヴィッカース社で完成後、日本に回航されてから日露戦争開戦までのわずかな期間、作品のように明灰白色と黒の美しいツートンカラーの塗装が施されていました。
「三笠」の動向を年表で追うと、実際にはこの状態で駿河湾を航行したことは無かったかもしれません。しかし、私はこの美しい艦が日本の象徴である富士山を背に船出する姿を描くことで、国を守る意志を抱 く「もののふ」の旅立ちの姿に見立てたかったのです。
作品中では、艦のマストが富士山に被るように意図的に描いています。これは日本の象徴である富士山に手をかざし、外敵から国を守る意志の強さを表現しています。

作品仕様

制作年: 平成26年
技法: 鉛筆画
サイズ: 652×500mm(P15)
所蔵: 公益財団法人 モラロジー研究所 所蔵

絆の航海 2550 -比叡・金剛-

「比叡」と「金剛」は、明治8年度計画によりイギリスに発注され、明治11(1878)年に竣工した装甲コルベットです。装甲フリゲート(後に二等戦艦)「扶桑」と共に編入された両艦は、大日本帝国海軍の近代化に大きく寄与しました。明治23(1890)年9月に発生したオスマントルコ軍艦「エルトゥールル」の座礁沈没事故後に、その生存者を本国まで送り届けた艦としてもよく知られています。
本作品は、遥か離れたコンスタンティノープルを目指し、長い航海に挑む「比叡」と「金剛」を描いた ものです。日本とトルコが固い絆で結ばれるきっかけとなった出来事の一場面をイメージし、制作しました。艦上は「エルトゥールル」の生存者と共に、後に国難に真っ向から立ち向かった海のつわものたちが乗り組み、甲板上で懸命に操艦しています。

平成 29(2017)年、導きの神「猿田彦」をご祭神とする椿大神社に奉納しました。

作品仕様

制作年: 平成29年
技法: 鉛筆画
サイズ: 455×652mm(M15)
所蔵: 椿大神社 所蔵