「赤城」は、八八艦隊構想で計画建造された「天城」型巡洋戦艦の2番艦です。ワシントン海軍軍縮条約により新造戦艦の建造が制限され、「天城」「赤城」は、新戦力として注目されつつあった航空母艦に揃って改造される運びとなりました。しかし、大正12(1923)年の関東大震災で、工事中の「天城」が致命的な損傷を負い、急遽その代艦に選ばれた「加賀」と共に、空母として竣工しました。もともと巡洋戦艦として造られていたため、艦体が長く速度性能も高い、優秀な航空母艦でした。
大東亜戦争序盤は、第一航空艦隊旗艦として真珠湾攻撃、セイロン沖海戦等の重要な海戦に参加しました。
昭和17(1942)年6月のミッドウェイ海戦で「赤城」は、アメリカ空母「エンタープライズ」所属機の急降下爆撃により炎上し、艦内の弾薬が誘爆して航行不能となり、駆逐艦「嵐」「野分」「萩風」「舞風」によって雷撃処分されました。
作品仕様
制作年: | 平成26年 |
技法: | 鉛筆画 |
サイズ: | 652×910mm(P30) |
所蔵: | 個人蔵 |