わだつみの駿馬 -戦艦 比叡 2602-

比叡は金剛型戦艦の2番艦で、イギリスのヴィッカース社で建造された1番艦金剛の技術を導入し、横須賀工廠で建造されました。本艦は初の国産超ド級巡洋戦艦として竣工し、後に改造により戦艦となりました。第一次世界大戦後ロンドン海軍軍縮条約により練習艦となり、観艦式などで昭和天皇の御召艦となる栄誉も受けました。 軍縮条約失効後の改装時に大和型戦艦のテスト艦として新技術が導入され、他の姉妹艦とは異なる外観的特徴を持つことになったのは有名です。大東亜戦争では、南雲機動部隊構成艦として行動。昭和17(1942)年11月12日、第三次ソロモン海戦第1夜戦で損害を受け、日中の空襲により自沈。大東亜戦争で帝国海軍が初めて喪失した戦艦になりました。
本作品は、南雲機動部隊が長躯セイロン島襲撃に向かう途中のワンシーンをイメージしたものです。スマトラ島南方洋上で横陣から一斉に面舵を取り単縦陣に展開中の金剛型4隻の有名な写真を参考に、異なる艦隊行動の様子を描きました。絵では、単縦陣から更に取舵を取り、比叡と金剛を先頭にした複縦陣を形成中の様子です。比叡に後続するのは霧島。殿で金剛に後続するのは榛名です。比叡と並ぶように航行する金剛が、比叡と発光信号でやり取りをしています。

Battleship HIJMS Hiei
“Poseidon’s swift horse -Battleship HIJMS Hiei 1942-”
Hiei was the second ship of the Kongo class, she was built at Yokosuka Arsenal with technology gained from the construction of the first ship, Kongo, the Vickers Yard in Great Britain. She was the first large Dreadnought type battle cruiser built in Japan, after refitting she was classed as a battleship. Due to the stipulations of the post WWI London Naval treaty she became a training ship, and in a Naval review she had the honor off serving as the personal vessel of His Imperial Majesty the Emperor Showa. After the expiration of the disarmament treaty, she was modified and used to test new technology for use in the Yamato class, she was famous for having a different appearance than her sisters in her class. In the Greater East Asian War (Pacific War) she was part of Admiral Nagumo’s Mobile Strike Force. On Showa 17 (1942) November 12th, in the 3rd battle of the Solomons, she was damaged in the night battle, the next she was sunk in an air attack. She became the first battleship to be lost in The Great Pacific war by the Imperial Navy.
This drawing shows her as part of Admiral Nagumo’s attack on Sri Lanka, (then Ceylon) with the Mobile Strike Force. Passing Sumatra Island to the south, the four Kongo class ships are shown with island off to starboard, an unusual formation. In the drawing, drawn from the port side, Hiei and Kongo are leading double columns. After Hiei is the Kirishima. And the Haruna is following Kongo. Steaming abreast of each other, Kongo and Hiei are exchanging light signals.

鉛筆画「惟、凛然として ー戦艦 長門 2604ー」在マーシャル諸島共和国日本国大使館へ

先日、私の描いた戦艦長門の鉛筆画「惟、凛然として ー戦艦 長門 2604ー」(原画は長門の艦内神社分霊元である山口県下関市にある住吉神社へ奉納)の原寸原画仕上げの複製画が、長門が最期を迎えたビキニ環礁のあるマーシャル諸島共和国へ渡りました。

在マーシャル諸島共和国日本国大使館が間に立った公式な寄贈で、絵は国立アレレ博物館に展示される流れとなりました。
この様子は、現地の新聞Marshall Islands Journalの記事になり、寄贈の様子が掲載されました。

また本日は核被害者追悼記念日で現地では国家行事があり、作品はマーシャル諸島共和国の国立国際会議場のロビーに展示されています。
 
国立国際会議場で、同国の大統領ヒルダ・ハイネ大統領(大洋州島嶼国における初の女性大統領)が絵の前で記念撮影してくださいました。

今回の寄贈が、日本とマーシャル諸島共和国の友好の一助になればと願うばかりです。尽力いただいた岩田領事を始め、関係者の皆さまには心より篤く御礼申し上げます。

「惟、凛然として ー戦艦 長門 2604ー」の複製画はこちら

記念艦三笠 廣瀬武夫記念企画展決定

展示会趣旨
〇 菅野泰紀は帝国海軍艦船を鉛筆で描き、作品を艦内神社の分霊元の神社に奉納する活動を続けている。艦内神社とは航海の安全と武運長久の為に帝国海軍艦船内に必ず鎮座していたものである。帝国海軍の数多の艦船は激戦の末、乗組員、艦内神社と共に海の奥深くに沈んだ。未だ水底に鎮座する艦内神社の御神霊と、艦と共に戦い散華された英霊、そして、船霊の慰霊顕彰の為、在りし日の艦の姿を描き、展示会を開催する。
〇 来る平成30年は、日露戦争の象徴的な軍人でもあり、軍神として日本国民に親しく敬愛された廣瀬武夫中佐の御生誕150年の記念年である。悲しい事に、先の大戦後、廣瀬中佐を知る日本人は少なくなってしまった。この御生誕150年の記念年に、日露戦争を戦った「三笠」に於いて、廣瀬中佐所縁の軍艦「朝日」をはじめとする帝国海軍の艦船の鉛筆画を展示し、解説を加え、廣瀬武夫という防人の功績、人徳を広く周知させ、御遺徳を偲ぶ。
〇 「三笠」が在る横須賀という地は、海の国防の舞台となってきた。今は海上自衛隊を擁している。海上自衛隊は帝国海軍の伝統、つまり、古代から脈々と受け継がれてきた防人の魂を受け継ぎ、国防の任を担っている。後進の自衛艦の雄姿を展示し、現代に至るまでの海の防人に想いを馳せ、顕彰する。

主  催:Art Studio 楓 -fu-
特別協賛:廣瀬神社、広瀬武夫顕彰会、帝国海軍軍艦慰霊顕彰会
協  賛:有限会社 大住産業、株式会社 オリエンタルプロセス、株式会社 キャリアコンサルティング、佐藤薬品工業 株式会社、株式会社サンセルモ
協  力:海上自衛隊 横須賀地方総監部/大分県竹田市、神奈川県横須賀市/公益財団法人 水交会、公益財団法人 三笠保存会、公益財団法人 モラロジー研究所/一般社団法人 美し国、一般社団法人 横須賀市観光協会/東郷神社/海上自衛隊を励ます会、在京大分県人会、潜水艦はくりゅう後援会、竹田市観光協会、竹田商工会議所、横須賀商工会議所、横須賀防衛協会/有限会社 オリジナルファクトリー、株式会社 カリブー、有限会社 第一介護サービス、有限会社 フォーサイト、株式会社 ぷれす、株式会社 プロスキャン

イベント
展示会に合わせて各種イベントを予定しております。詳しくは下記Facebookよりご確認いただけます。
記念艦三笠 廣瀬武夫中佐生誕150年記念企画展「菅野泰紀鉛筆艦船画展 肖像 序 -海の防人たち今昔-」

※特設サイトは順次準備していきます。

年末年始のお知らせ

年末年始の配送についてのお知らせ
12月28日(木)〜1月8日(月)の期間中は出荷停止期間ととなります。
※ご注文はお受けしております。出荷は1月9日以降順次対応いたします。

近鉄百貨店上本町店10階で開催中の「凱旋企画展 肖像 ー序ー 海征く艟艨たちの残影」。

ありがたいことに大変たくさんの方々にお越しいただき、盛況のうちに二日目を終えました。10月16日に産經新聞の1面に画集ととも触れていただいた、戦争経験者2名をお招きしての講演会を開催したこともあり、初日である29日には大変多くの皆様が会場に集まってくださいました。
また、関西テレビが取材して下さり、昨日の5時台のニュースと本日の朝のニュースでご紹介いただいた事もあり、本日30日は、平日にも関わらず会場には様々な世代のお客様が集まってくださいました。本当に嬉しい限りです。
29日には橿原神宮宮司の久保田様や、石清水八幡宮禰宜の西様もお越しいただき、それぞれの神社への奉納作品以外の30点を越える鉛筆艦船画をご高覧頂きました。お会いしたかった馴染みの方にもお会いでき、改めてご縁のありがたさを実感いたしました。
また、29日の記念講演会でご登壇いただいた、元瑞鶴噴進砲員の川内勝様、元伊勢高角砲員の備後政雄様にも直接展示作品を見ていただく事が叶い、作品の前で当時のお話をお聞きできました。
講演でも100名もの参加者の皆様の前で、歴史学者の久野潤先生との対談形式でご講演いただき、とても有意義なひとときとなりました。参加者の皆さま二もそうであったと確信しております。
長丁場でしたがご協力頂いた川内様、備後様、お二人の付き添いでお越しいただいたご家族、有志の方々、久野先生、スタッフとしてお手伝い頂いた皆様、近鉄文化サロンの皆様、本当にありがとうございます。おかげさまで良いイベントとなりました。
記念品として登壇者でサインし合ってお分けした画集は私の一生の宝ものです!

凱旋企画展 菅野泰紀鉛筆艦船画展「肖像 -序- 海征く艟艨たちの残影」開催

平成29年10月29日(日)ー10月31日(火)
観覧時間:10:00-19:00(最終日16:30まで)
展示会場:近鉄百貨店上本町店10階 近鉄文化サロン上本町
主  催:Art Studio 楓 -fu-
観覧無料
画集などの販売を予定。(作者は10月29日、10月31日に在廊予定)
今夏、靖國神社遊就館で3ヶ月間の展示を終えた作品たちが、作者の地元大阪へ凱旋します。短期間ではございますが、この機会にご高覧頂ければ幸いです。

鋼鉄の浮城 -戦艦 武藏 2604-

「武藏」は、民間の造船所が建造した世界最大最強の戦艦であり、大日本帝国海軍最後の戦艦です。これまで幾度も大型主力艦を建造してきた三菱長崎造船所であっても、「武藏」は従来の戦艦とは比べ物に ならないほどに大きく、既存の設備では賄いきれない代物でした。そこで建造に先立ち、ドック拡張工事に加え、建造に携わる関係者の技術指導が徹底して行われました。また、建造する艦は秘匿艦であり、軍事機密を守るために実施された様々な手立ては、いずれも常識を超える逸話として伝わります。
最後の日本戦艦となった「武藏」には、大東亜戦争中その活躍の場はなく、昭和19(1944)年10月24日、捷一号作戦中に起きたシブヤン海海戦で6次に及ぶアメリカ艦載機の波状攻撃を受け、その巨体は深海 に没しました。
作品は、昭和19(1944)年7月に内地から陸軍兵や資材を満載し、護衛の駆逐艦を伴いリンガ泊地をめざし南下中の「武藏」を描いたものです。

作品仕様

制作年: 平成27年
技法: 鉛筆画
サイズ: 297×420mm(A3)
所蔵: 個人蔵