日本が建造した初の3万t越えの超ド級戦艦が、「扶桑」型戦艦でした。大東亜戦争の敗色が濃厚となっていた昭和19(1944)年10月、「扶桑」「山城」は捷一号作戦でスリガオ海峡からレイテ湾に突入する任務を与えられました。しかしアメリカ艦隊の待ち伏せを受けた2隻は集中砲雷撃を被り、壮絶な最期を遂げました。
「連理の塔」は、アンバランスに高い艦橋が特徴である「扶桑」「山城」をテーマとした対の作品です。
「宵の山城」は冴える月夜にまっすぐ戦地に向かう凛とした「山城」の姿を、そして、「旭日の扶桑」は空を朱に染める旭日を背に波濤を越える「扶桑」の姿を描いています。両者は、「陰と陽」「静と動」の対となっています。終焉を迎えることになる海へ、単縦陣で向かう2隻の姿を後続艦から眺めると、屹立する2つの高い艦橋が、絡み合う連理の枝のように見えたかもしれません。2隻は今でも同じ海域の底に共に眠っています。
終戦70周年にあたる平成27(2015)年、両艦の艦内神社分霊元である石清水八幡宮に奉納しました。
作品仕様
制作年: | 平成27年 |
技法: | 鉛筆画 |
サイズ: | 455×652mm(M15) |
所蔵: | 石清水八幡宮 所蔵 |