連理の塔 2604 宵の山城・旭日の扶桑

日本が建造した初の3万t越えの超ド級戦艦が、「扶桑」型戦艦でした。大東亜戦争の敗色が濃厚となっていた昭和19(1944)年10月、「扶桑」「山城」は捷一号作戦でスリガオ海峡からレイテ湾に突入する任務を与えられました。しかしアメリカ艦隊の待ち伏せを受けた2隻は集中砲雷撃を被り、壮絶な最期を遂げました。
「連理の塔」は、アンバランスに高い艦橋が特徴である「扶桑」「山城」をテーマとした対の作品です。
「宵の山城」は冴える月夜にまっすぐ戦地に向かう凛とした「山城」の姿を、そして、「旭日の扶桑」は空を朱に染める旭日を背に波濤を越える「扶桑」の姿を描いています。両者は、「陰と陽」「静と動」の対となっています。終焉を迎えることになる海へ、単縦陣で向かう2隻の姿を後続艦から眺めると、屹立する2つの高い艦橋が、絡み合う連理の枝のように見えたかもしれません。2隻は今でも同じ海域の底に共に眠っています。
終戦70周年にあたる平成27(2015)年、両艦の艦内神社分霊元である石清水八幡宮に奉納しました。

作品仕様

制作年: 平成27年
技法: 鉛筆画
サイズ: 455×652mm(M15)
所蔵: 石清水八幡宮 所蔵

龍は激浪を越えて 阿形 蒼龍・吽形 飛龍

「蒼龍」と「飛龍」は、2計画(第二次補充計画)で計画・建造された中型空母です。軍縮条約の制限下で建造された「蒼龍」と、制限を受けずに、より理想的に建造された「飛龍」の2隻は、先行艦の「赤城」「加賀」と共に空母戦力の増強に大いに貢献しました。大東亜戦争の序盤は、揃って主要な作戦に参加しました。
「龍は激浪を越えて」は、「蒼龍」「飛龍」の2隻を主題として描いた、阿吽の対となった作品です。「蒼龍」は波を乗り越え艦底を露わにした構図から「阿形」とし、対する「飛龍」は波に艦首を突っ込んだ構図から「吽形」と見立てています。その一方で、それぞれの作品は異なるコンセプトで制作しています。「蒼龍」の方は、背景の空に2匹の降り龍が隠れており、艦首を上に向ける「蒼龍」を昇り竜に見立てた、龍図になっています。また「飛龍」はミッドウェイ海戦の武勲誉ある艦でもあり、艦載機が発艦する最も空母らしいと思える場 面を描きました。

作品仕様

制作年: 平成29年
技法: 鉛筆画
サイズ: 652×910mm(P30)
所蔵: 個人蔵

双対の巨竜 阿形 加賀・吽形 赤城

「赤城」と「加賀」は、大日本帝国海軍が初めて保有した大型主力空母です。2隻は以後の空母戦力の増強に大いに貢献しました。大東亜戦争の序盤は、彼女たちにとってはまさに独擅場でした。第一航空戦隊を構成した「赤城」と「加賀」は、対になり作戦を遂行してきましたが、ミッドウェイ海戦では、まず「加 賀」が被弾し、その後まるでパートナーを失った比翼の鳥の如く、「赤城」も戦闘不能となりました。
「双対の巨竜」と題し、「赤城」「加賀」の2隻を描いた一対の本作品は、比翼の鳥ならぬ比翼の竜をイメージして制作しました。「加賀」の方は全幅の広く角ばった艦体形状をしていることから「雄形」とし、波を乗り越え艦底を露わにした構図から「阿形」と見立てています。また「赤城」は丸みを帯びた長い艦体形状から「雌形」とし、波に艦首を突っ込んだ構図から「吽形」と見立てています。神社の狛犬と同様に右に「阿形(加賀)」そして左に「吽形(赤城)」を配置し同時に眺めると、鳥が翼を広げたようなシルエットが浮かんでくるはずです。

作品仕様

制作年: 平成26年
技法: 鉛筆画
サイズ: 652×910 mm(P30)
所蔵: 個人蔵