装甲巡洋艦 筑波

「筑波」は初の国産主力艦として、呉海軍工廠で建造されました。日露戦争中の旅順攻撃で主力戦艦「初瀬」「八島」を一度に失った日本は、2隻に代わる主力艦を急いで手に入れる必要に迫られました。戦争中は第三国に新たな軍艦を発注できないため、それまでの戦訓を踏まえた日本独自の設計で、起工から進水まで僅か1年という驚異的スピードで建造が進められました。結果的には日露戦争中に完成しなかったものの、自国で大型戦闘艦を建造できたことは海軍関係者を大いに奮い立たせ、以後の国産主力艦建造への道筋を示すことになりました。しかし、本艦の竣工時には既に「ドレッドノート」が就役しており、また間もなく世界初の巡洋戦艦「インヴィンシブル」も就役したため、戦略的価値は低下してしまいました。
第一次世界大戦では第一南遣支隊として南太平洋やインド洋方面まで進出し、通商保護作戦や南洋諸島占領などに従事しました。大戦中の大正6(1917)年1月14日、横須賀停泊中に前部主砲火薬庫が爆発し大破着底しました。乗組員305名と共に10年の生涯を終えました。

作品仕様

制作年: 平成23年
技法: 鉛筆画
サイズ: 318×409mm(F6)
所蔵: 個人蔵