戦艦 攝津

「攝津」は、最初で最後の国産ド級戦艦(厳密には準ド級)「河内」型の2番艦です。初の国産戦艦「薩摩」型が約60%を輸入品に頼っていたのに対し、「河内」型では輸入依存率が約20%にまで抑えられていました。
大正8(1919)年の海軍大演習では、御召艦となる栄誉を得ました。第一次世界大戦では、主力艦として実戦を経験しました。ワシントン海軍軍縮条約締結後は全武装を撤去し、無線操作で航行できる標的艦に改造され、艦隊の砲撃訓練や航空隊の爆撃訓練などに大いに貢献しました。その後、大東亜戦争が勃発するも、艦の運用目的上日本を離れることなく、昭和20(1945)年7月24日のアメリカ艦載機による呉空襲で大破着底し、33年に及ぶその生涯を終えました。

作品仕様

制作年: 平成22年
技法: 鉛筆画
サイズ: 318×409mm(F6)
所蔵: 個人蔵